プラナリアの人(Tsubasa)日記

プラナリアの研究で慶應に入学した人の日記です。たまに有益なこと書きます。

卒業〜母への感謝〜

3月25日に慶應義塾大学を卒業しました。

 


4年前に『己に勝る友を見つけておいで』と母に送り出してもらった慶應義塾大学

おかげさまで、たくさん己に勝る友が出来ました。

 


今日は少しまじめに書かせて下さい笑

 


大学在学中は本当に色んなことがありました。

嬉しかったこともたくさんありました。

 


僕の1番の理解者だった「母の死」という人生で一番辛いこともありました。

 

 

 

僕の母は一言で例えるなら「破天荒母ちゃん」

 


「やるなら最後までやれ!中途半端にやるな!」

 

「ありがとう、ごめんなさい、いただきます、ごちそうさまは言える人になりなさい!」


「苦しい時こそ笑ってなさい」


「彼女はまだできないの?」


が口癖でした。

 

 

 


母が亡くなってから、みんなの前ではなんとか明るく振る舞っていましたが、正直な話、本当にキツかったです。

母が難病を患ったのは4年前の12月。

僕が高校3年の時でした。

僕は家族で唯一、母の病気の説明を医師から知らされていました。

医療系の研究をしていた僕は、薬の投与量などを見たときに母の命が長くないことを察していました。きっと母自身も自分の命が長くないことを察していたのでしょう。

「家族を頼んだよ。」と頻繁に口に出していました。それでも、「卒業式までは生きていて欲しい。」というのが本音でした。

 


最後に母と話をしたのは亡くなる2日前、電話でした。他愛も無い会話をして、来週にはお見舞いに帰ることを伝えて電話を切りました。今思えば、もっと母に「ありがとう」を伝えておけば良かったなと後悔が残ります。

 


みなさんは大切な人にちゃんと感謝の言葉や愛の言葉をかけていますか?

次でいいや!また今度でいいや!って思っていませんか??

「次」や「今度」が必ず訪れるとは限らないんです。だから、しっかり伝えるようにして下さい。

 


そんな中でも、気持ちを切り替えて前を向いて歩めたのは家族、友達、先輩、後輩、先生方、など僕に関わってくれた方々のおかげです。

本当にありがとうございました。

 


母がずっと出席したがっていた卒業式。

卒業式では、ちゃんと家族4人で写真を撮れました。迷惑をかけた分、社会人になってたくさん家族には楽をさせてあげたいと思います。

 

母が自由にやらせてくれたからこそ、今の僕があるのだと思います。時に厳しく、時に優しく、時に煽りながら愛情を持って育てくれた母には感謝しかありません。僕は母の息子で本当に幸せでした。

 


最後に

今まで僕に関わってくれた方々、本当にありがとうございました。

 


そしてこれからも、よろしくお願い致します。

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