プラナリアの人(Tsubasa)日記

プラナリアの研究で慶應に入学した人の日記です。たまに有益なこと書きます。

伝えることの大切さ

昨日のツイートが

僕の予想を上回る反響でびっくりしています。

 


なので、今日は僕に少し話させて下さい。

長いかもしれませんが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

 


僕は大学の4年間を振り返って思うことがあります。それは家族の大切さ、命の大切さ、伝えることの大切さ。

 


4年前の冬。

寒くなり初め、街中ではカップルが寄り添いイルミネーションが輝くようになりました。第一志望の慶應大学に合格をしていた僕はセンター試験を残すのみで、呑気にしていました。今年もガキの使いを見て笑いながら年を越すんだな〜と。

 


そんな中、以前から体調不良を訴えていた母が緊急入院しました。自宅に到着した後、すぐに病院に向かいました。母は元気そうに振る舞っていましたが、18年も母の息子をやっている僕にはわかりました。無理をしている、と。

 


一か月入院しても病名が分からず、私は焦りと不安から医師に対し「国家試験に合格したのに病名すら診断できないんですか?」と言ってしまいました。このことは今でも反省しています。

 


一か月以上かかり診断された母の病名は神経サルコイドーシス。聞いたことがない病名でした。それもそのはず、神経サルコイドーシスは宝クジで1等に当選する確率よりも低い確率でしか発症しない病だったのです。

 


4年間、母は必死に病と闘ってきました。

いつ、亡くなってもおかしくない中で僕を叱咤激励し続け、家族をいつも支えてくれていました。

 


「翼の卒業式は見たいし、結婚式も見たい。孫の顔も見たいけど、それは欲張り過ぎかしら?」と笑いながら、よく話をしていました。

 


徐々に薬の量も減り

もしかしたら、完治するんじゃないか!?と期待していた僕がいましたが、現実はそんなに甘くありませんでした。

 


母の訃報を聞いたとき

 


僕は後悔をしました。

 


なぜ毎日ちゃんと母と話をしなかったのか?

 


なぜ毎日ありがとうを伝えなかったのか?

 


最後にありがとうっていつ言ったかな?

 


最後に母を抱きしめたのはいつだったかな?

 


もっと一緒にいてあげれたのかなと。

 

 

 

たくさんの反響を頂き、自分の言葉で母のことを整理出来るようになったので、今回投稿させていただきました。

 


これはただのブログ投稿ではありません。

 


僕から皆さんへの警鐘でもあります。

 


家族や大切な人に毎日感謝を伝えられていますか?明日でいいや!と思ってませんか?

 


人間は老いて死に行く生き物です。

明日が必ずくるとは限りません。

 


そのことを考え僕らは行動すべきなのかもしれません。たかが22歳の若造の分際で生意気な文を書いてしまいました。

 


しかし、皆さんにあの時の僕のように後悔をして欲しくないので投稿させていただきました。

 


感謝を忘れず1日1日を全力で生きることこそが後悔の少ない人生、すなわち"いい人生"を送るコツなのかもしれません。

 


お見苦しい文章を投稿いたしましたが、これからもよろしくお願い致します。